喘息になる意味「喘息が教えてくれるメッセージ」
こんにちは、橋本麗子です。
身体が伝えるメッセージを受け取る事で、自分本来の生き方に気付き、
人生を変えていくお手伝いをしています。
本日は、喘息ついてお話しさせていただきます。
肺で呼吸できるのは、私たちが生きている証。
呼吸は、自立と自由の象徴です。
自立できない、自由がないと感じた時、
喘息という形で身体がSOSを出すのかもしれません。
喘息の原因について
喘息の症状を持っている人の気道は、
常に炎症を起こしていて、健康的な人に比べて気道が狭くなっています。
気道とは、呼吸した空気が通る道のこと。
その通り道が炎症を起こし、狭くなっているため、
正常な気道ならば、なんでもないことでも、
敏感なためにホコリやタバコ、ストレスなどで炎症が悪化してしまいます。
すると、さらに気道が狭くなり、
息が苦しくなったり、痰が絡み、ヒューヒューといった音が出るのが喘息という症状です。
喘息からのメッセージ
〇〇炎という病気の意味
〇〇炎という病気にかかる方は、普段の生活に多くの葛藤を抱えています。
葛藤を抱えながら、感情を外に出さないよう抑えているため、
「怒り」のサイン、炎症が起きます。
対人関係にトラブルがあれば、アトピー性皮膚炎に、というように。
特に「怒り」は熱をあげますから、高熱などはその典型ですね。
咳の意味
喘息の場合は、気道に炎症が起きています。
つまり、何か自分の感情を抑え込んでいるため、
出口を求めて、咳で一生懸命外へ出そう、出そうとしているのですね。
気道を息がしにくいほど、ギュッと締まっていると思うと
どんな状態を想像されますか?
自分の思うような息ができないと感じますよね。
そんなところに、ホコリやストレスが加われば、敏感になっている分
自分が襲われているような感覚を受けます。
外へ全て吐き出したいのに、思うように出すことができない。。。
自分は自由な存在ではないと感じているのです。
ヒューヒューと音を鳴らす意味
何か音がなると人は、自然と音のする方に目を向けます。
ヒューヒューと苦しげな息をすれば、
目線をこちらに向け、心配をしてくれます。
ヒューヒューは、「こっちを向いて」というメッセージ。
自分を認めてもらいたくて、
頑張っているのを気付いて欲しくて、外に向かってサインを出そうとしています。
自分の息ができない程、
誰かに尽くし、「こんなに弱いけど頑張ってるの」
そんな気持ちは手放して、
自分のペースで、自分の思うように、自分で自分を認めて行きましょう。
肺からつながる意味
気管からつながる「肺」は、空気中の酸素をからだに取り入れ、
いらなくなった二酸化炭素を外に出すはたらきをする場所です。
人間にとって、酸素を取り入れるのは、生きるためのエネルギー源です。
酸素を取り入れるのを自ら抑えてしまうほど、
生きているということに、悲しみや絶望を感じているのかもしれません。
それはきっと小さな時に、自分を精一杯守るために決めた決まり事。
もう、すっかり自分の意思を持って行動できるようになったのですから、
気付いて手放していきましょう。
もしくは、反対に、
「生きたい」「死にたくない」と「生」を意識してはいないでしょうか。
「生」にこだわると「死」に対する恐れが必要以上にやってきます。
死ぬということに対する恐れ、
苦しむということへの恐れは肺の機能の低下に繋がっていきます。
「生」に執着してしまいそうになる根本原因は何か気付いていきましょう。
私たちは、母親の胎内にいる頃、
母親からへその緒から酸素をもらって息をしていました。
そして、初めて肺を使って、自分で呼吸をするために「オギャー」と泣きます。
全て守られた中で、全てを与えられていた所から引き離される・・・・
よって、「肺」とは自立の象徴とも言われています。
自分の未来を進むことができない、
まだ自立できていないと恐れがないでしょうか。
人は、ここから先の未来や、今いる場所から変化する時は、
体験したことがないため、恐れと不安がやってきます。
恐れや不安を感じてはいけないのではなく、
感じてしまうのは人間として自然ですし、
それをあえて隠したり抑え込まなくていいと感じています。
ただ、私たちは、この身体を得たことで、何か体験することを決めて生まれてきました。
恐れや不安からやめてしまうのは、
肉体を持った意味からずれてきてしまうことになります。
人生をいう一つのドラマを
乗り越え成長するために、「必要だから起きている」ととらえてみてください。
溺愛から起きる親の投影
私の息子は、年長から3年生の始めまでの間、喘息発作を頻繁に起こしていました。
喘息を治してあげようと、
人から水泳を勧められるまま、嫌がる息子を通わせたこともあります。
今、思えば、なんて酷なことをしていたのだろうな、と思います。
喘息が意味する本質に全く気付いていませんでした。
私は、生まれた時から、息子をとても溺愛していました。
当時の私は、自分のことも、自分の置かれた場所も全く受け入れることができなく、
誰からも「素」の自分を愛してくれる人はいないと感じていました。
それが子供が生まれることで、「私がいないと生きていけない存在」を見つけたのです。
子供が一心に親を愛してくれる愛で、自分の欠乏感をうめ、
私は、愛を与え続けることで、自分が生きる価値を見出してました。
それも身体の弱かった私が全力を注いだ存在。
完全なる依存です。
私は自分の心の隙間を埋めるために、彼の自由と自立を奪っていたのです。
彼の喘息が止まったのは、2年生の後半に下の子が生まれた時です。
新生児が生まれ、
私の目が彼だけに注ぐことが強制的にできなくなったおかげで、
彼は無意識に解放されていったのだと思います。
とても大切な事を言います。
小さい頃の子供の症状は、親に気づかせるための投影でもあります。
当時の私は知る由もなかったですが、
親の価値観のズレを子供は身体を張って教えようとしてくれます。
止まらない咳からは、言葉にせず胸に溜め込んだ思いを。
ヒューヒューという音からは、誰かに無条件で愛される事を。
もっと自分をためらうことなく表現し、
自分で自分を愛しなさいと、見せてくれていたのです。
実は、これは喘息のお話ではないのですが、
下の娘も幼稚園の時、嘔吐を何度も繰り返していました。
普段は元気な娘が年に数回、目の焦点が合わなくなるくらい数日吐き続けるのです。
病院では、普通の子供より気道が細いということでしたが、
勉強して気付きました。
私はずっと「愛されたい」と思い続けていたのです。
その証拠に、いつもとても身体が弱かった私が、
二人の子たちが辛い時は、
「私しかない」という役目をするためにせっせとし続けていたのですから。
それはかつての私と私の母の関係性も同じでした。
頻繁に嘔吐下痢を繰り返す私に対し、せっせと世話をする母。
自分には価値がないと思っていた母は、
私を育て上げることで自分の価値を見出そうとしていました。
もっとこの原理を早く知っていれば、
小さな身体に苦しい思いをさせずに済んだのだな、と思うと
自分の幼さに呆れ、
子供たちにも申し訳ない気持ちにもなりますが、今はありがたいことに3人とも健康です。
知ることができた事で、
次の世代に負のループを伝えなくても済むことができた、
それは心から良かったと感じています。
まとめとアドバイス
「自立」とは、強くある事でも、一人でなんとかしなきゃ、の意味ではありません。
そもそも、私たちは「個」の独立した存在で、一人の人間として尊重される存在です。
自分以外の誰かが、他人の息のペースをコントロールすることはできないように
一人一人が自分の呼吸をし続けることです。
自分が生きている喜びを味わうために。
人はとても弱く、弱いから誰かと一緒にいる事で安心します。
誰かに愛されたい、認められたい、自分の居場所が欲しい、と
自分の本当の思いや言葉を抑えて、周りに合わせようとしてしまいます。
昔々、狩猟時代には、孤独は「死」を意味しました。
だから本能的に、その恐れがフツフツと湧いてきます。
でも、今はそんな時代ではありません。
相手を変えることはできないけれど、望んでいることを伝えることはできます。
自分はこのように考えている、
このようにやろうと決めている、
他人や周りに「自分の行く道を預けない」のが自立であり、
どの道をどのように進むか、様々な思考から、無限の選択肢を引き出せるほど
私たちの心は「自由」なのです。
「自由がない」と思うのは、ただの錯覚。
「自由がある」とその人が思える道を選ぶのか、
「自由がない」とその人が思った道を選ぶのか、それさえも私たちは「自由」なのです。
私たちは、
神様が創った身体を与えられるほど、神様に愛される存在です。
自分にとって心地よい呼吸を自分で自由にしていきましょう。
コメント