胃が痛くなる意味「胃の痛みが教えてくれるメッセージ」
こんにちは、橋本麗子です。
身体が伝えるメッセージを受け取る事で、自分本来の生き方に気付き、
人生を変えていくお手伝いをしています。
本日は、「胃の痛み」ついてお話しさせていただきます。
CMの影響からか
胃が痛むと「ストレスが原因かな」と考える人が多いと思います。
実際、病に関していえば、どの病気にしてもストレスは大きく関わってくるのですが、
特に胃の場合は、「痛み」を症状として自覚しやすい場所のうちの一つだから
そのように思いやすいのかもしれません。
胃は、身体のエネルギーのために、口にした新鮮な食べ物を消化する場所です。
外から自分の栄養のために入れたものがうまく消化できないということは、
自分のために入ってこようとしているあらゆる出来事を
消化できない、受け入れることができない、と
身体が反応してしまっているということなのです。
胃の働きとストレスが原因と言われる所以
胃は、胃の筋肉を伸びたり縮んだりさせることで、食べ物を胃液と混ぜ合わせ消化させるという
働きをします。
消化には「胃液」の助けを必要としますが、胃液は常に分泌されている訳ではありません。
おいしそうな食べ物を見たり、匂いを嗅いだり、
それを口にすることで刺激を受け、胃液は分泌されます。
そして、血流が大きく影響をしています。
緊張状態、または運動の際には体の筋肉の方に血液が行くため、
空腹を感じないのに、
リラックスすると胃がグルグルと消化し出すのは、
胃液の分泌にとって、血液の流れがとても重要になっている証拠です。
だから、食後にバタバタと動き出すより、
消化を助けるために少しゆっくりしてから動き出す方が、
身体にとってとても良いのですね。
運動で緊張状態になると筋肉に血流が流れていきます。
それと同じように心配事、不安事などにとらわれてしまうと、
緊張状態から筋肉に力が入り、自律神経の乱れが起き、
血流が悪くなっていきます。
血流が悪くなれば、胃液の分泌も悪くなり、消化に大切な働きを滞らせてしまいます。
食事を美味しく食べるというのは、生きるための基本ですから、
胃に不安を抱えていては、せっかく頂く命からも活力をもらえず、
自らもパワーが湧いてきません。
ぜひ、「胃が痛い」だけで終わらせず、本質を見つめてみましょう。
胃の痛みからのメッセージ
胃の働きから想像していただけるように、
常に胃の痛みやトラブルを繰り返している方は、
外から来た新しい情報や出来事を受け入れられないと思い込んでいる状態になります。
それがあなたにとって必要なものにも関わらず、です。
それだけ、
自分の中に、こだわりを多く持ちすぎているのかもしれません。
自分のいる位置だけを基準に、
これが正しい、
〇〇するのは当然、
〇〇しなければならない、
このような思いが強いと、他人との距離がうまく取れなくなり、
対人関係が苦しくなります。
自分に対して縛りを多くし、
それが正しいと信じ込んでいると、相手にも無意識にそれに合わせてくれることを期待します。
ですが、相手が想い通りに動いてくれるはずもなく。。。
「正しい」と思い込んでいる分、
期待にそぐわなければ、怒りや失望といった感情が湧いてきて、自分を傷付ます。
それが「胃の痛み」へと繋がっていくのです。
苦しいとつい見ないよう、避けてしまうのが、人間というものです。
あの人は付き合いにくい、、、、は
実は相手が問題なのではなく、自分側が問題であることがほとんど。
こちらの捉え方次第で、相手に対する見方、触れ合い方が変わり、
いつの間にか状況は変化していきます。
私たちの意識は、3%が認知できる顕在意識、残りの97%は、無意識の潜在意識です。
100%のうち、97%が無意識に繰り返される習慣が入っているのですから、
3%の場所に、潜在意識に何も影響を及ばさないと言うのは、数字的に考えても難しいでしょう。
つまり、
私たちの前に起きていることは、脳の意識が創り上げた現実ということになるのです。
もし、認識できる”今”と言う状態の中に
対人関係のトラブルを起こしているのなら、
あなたの無意識層の何か「思い込み」が作用していることになります。
そのようなあなたを縛っている思い込みは、
あなたの人生をもっと幸せに豊かにするためには必要はありません。
それを、あなた自身が自分の力で気付いてくれるよう、
潜在意識は、
あえて、思い込みを覆すような人、状況が目の前で起こさせているに過ぎないのです。
そもそも、自分は「正しい」から変わらない、「相手がおかしいから相手が変わるべき」
文章にすると、
それがいかに矛盾したことを言っているのか、わかりまよね。
でも、実際は、無意識に誰もがやってしまっていることなのです。
胃のある第3チャクラからのメッセージ
胃のある場所は、チャクラでいうと第3チャクラです。
自分の覚悟、自信を決める場所。
(だから、そこが弱いとお腹の調子が悪くなります)
自信が過度になってしまえば、自信過剰になりますし、相手をコントロールしようとします。
弱まれば、誰かと比較してくよくよしたり、妬んだり、
不安から相手に依存したりと、自分の人生を自分らしく生きることができません。
つまり、胃の蠕動運動と一緒で、伸びたり縮んだり、
とても柔軟性を問われる場所でもあるということです。
胃がキューっと痛くなるほど、
力を入れ、縮ませることはやめていきましょう。
母の胃ガンと私の胃けいれんについて
私の母は、10年前胃ガンの手術をしています。
進行性のものでしたが、幸い現在は胃ガンの再発はありません。
胃に関しては、本当にトラブルの多い人で、
常に「胃をキリキリと痛め、胃薬に頼る」毎日でした。
若い頃は市販薬の胃薬で、その日の症状を抑えていたものの、
だんだんと無理も効かなくなっていたのでしょう。
胃潰瘍から胃ガンになりました。
薬は、痛みなどの症状を抑えるために飲むものです。
症状を一時的に抑えることで、落ち着いた、治ったと感じるかもしれませんが、
その根本となる大元の原因は、なに一つ変わっていません。
だから、繰り返し痛みがやってきます。
母は、典型的な「胃のトラブル」を起こす思考の持ち主でした。
(今でも若干あります)
口癖は、
でした。
そして、眉間にしわを寄せるのが習慣になってしまうほどの潔癖症でした。
片付いていない場所、衛生的でない場所は、特に許せないのです。
心理学を学んだ当初は、
「それはあくまでもお母さんの考えで、相手はそう思っていないから、
そのような行動や言動をするのでしょう?」と言っても全く理解できず、
「だって、それが一般の常識でしょ」と取り合おうとしませんでした。
「一般の常識って何?」と聞いても、
「世間の常識だから、それが当然でしょう」とまるで答えになりません(笑)
母の意見は、母の意見、ただ従いたくなくて反発を続けていた時期もあります。
根気強く、「私の考えは違う」と言い続けていた時期もあります。
ただ、それでは、
受け入れられないともがいている相手に理解しようとしてもらおうとする行為は、
互いに疲れてしまう関係になっていくだけで、
ある意味「理解させよう」なんて、それも私の中のエゴだなと思い、手放しました。
正直、見ていて生き辛い人生を生きているなと思うこともありますが、
自分が傷つくのを守るために
そういう風にしか生きれなかった私の知らない時代も彼女にはあったはずなのです。
そんな私も20代の頃、胃けいれんを1年ほど連発していた時があります。
NYからHKへ転勤が決まり、HKでの駐在夫人同士のお付き合いに全く馴染めなかった時です。
NYはお国柄も広大な土地もあってか、奥様同士だけで密にお付き合いすることは稀でした。
しかし、香港は、香港島だけの狭い場所に
しかも日本人マンションと言われるほど、
日本人の駐在員ばかりが集まったマンションがあり、私も引き継ぎでそこに住むことになりました。
後から知ったのですが、
新しく赴任する人はどこのグループの輪に入るのかという話題になっていたそうです。
(今から30年近く前の話なので、現在は違うと思います)
私の場合は、特に当時では珍しい、初のNYから横移動の転勤だったため、
噂が通常よりも広まっており、どのグループが私を取るかと言う話題になっていたそうです。
もう大体想像がつくでしょうが、
私は香港の空気に全く馴染めませんでした。
狭い日本人の駐在妻の関係性、頻繁に行われる婦人会、油っぽい食事も湿度も汚い街も。。。
特に、そのいつの間にか所属することになっていたグループのお付き合いが
自由を奪われた感じで、全く合わなかったのです。
胃けいれんは、香港の赴任後早々から起こり、1日に何度か、1時間ほど続きました。
その間じっとしていられない程の痛みなので、身体を丸めたままゴロゴロと七転八倒です。
もちろん健康診断では何も出ません。
さすがにこれはまずいと、そのグループから距離を置かせてもらった途端、
痛みはピタリと止みました。
胃潰瘍や胃けいれんは、胃に震えが起きている状態です。
とはいえ、それはあくまでも私が想像しただけの幻想にしか過ぎず、
「嫌だけど断れない。ちゃんと付き合わなくちゃ」と自分で自分を縛っていただけなのです。
「ちゃんと付き合わなきゃ」の背景には、
私は、自分のことを「今のままでは、ダメな人」という
セルフイメージを持っていたということでもあります。
あの時、私が、自分というものを持ち、お付き合いの線を決め、
言葉でちゃんと上手に伝えていられたら症状は起きなかったはず。
身体は正直だったなと改めて思います。
まとめとアドバイス
胃のトラブルは、
自分にも相手にも寛容に、
過去も今も未来も柔軟に、伸びたり縮んだり、その時に合わせ、お付き合いするのがテーマです。
ぴーんと張った一本のヒモでは、何かの瞬間にブチっと切れてしまいます。
自分の正しさを主張して、相手をコントロールしようとしたり、
「これが正しいのに」「相手がおかしい」とジャッジすることは、
こちら側の一方的な思いでしかありません。
自分の考えが全て正しいわけではないし、
人生という課題において、答えも一つではないと言うことですね。
自分に対し、正しさを追求すれば、
無意識に相手にもそれを期待するようになります。
自分の正しさは、自分ができるから決めていることで、
同じことを相手がしてくれるわけでも、できるわけでもありません。
一方的に期待をし、
期待に応えてくれなければ、怒りや失望、恨みへと感情は移ってしまうもの。
それに、あなたが相手に抱くモヤモヤ、イライラとした気持ちとそれに費やしている時間を
相手も同じように時間を費やしてくれるはずもなく、
ましてやあなたの気持ちに気付きもしていない、覚えていない可能性の方が高いのです。
自分の大切な時間をそこに心を持って行ってしまうのは、
もったいないですよね。
どんどん手放して、身体を柔軟に軽くしていってください。
どんなに気をつけていても、
人は、いつの間にか、自分基準で物事を考えがちです。
その方が、自分を傷つけずにすむと勘違いしてしまっているからです。
そして、その基準はどこから来るのかとといえば、
大抵は、これまでの過去の自分の経験から来ているはずです。
過去の経験が正しかったこともあるでしょう、
でも、この先の未来も、それが正しいとは限りません。
人は、自分と違うからこそ、気付けることがたくさんあり、
常に成長させてくれるものなのだと思います。
自分が、間違えることや失敗をすることを全て許していくと、
こんなにも生きることは楽だったんだと気付くことができますよ。
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